正しくない推論

 日常場面でしばしば行われる推論が、形式論理から見ると正しくないという状況がいくらでもある。

 例1

 彼と結婚すれば私は絶対幸せになれるわ。

 でも、彼とは結婚できないの。

 ∴だから私は、幸せになれないんだわ。

 これは、安西祐一郎氏の『問題解決の心理学』(中公新書)から借用したものである。「∴

」は、結論を表す記号として以後も使うことにする。論理的に形式化してしまうのははばかれる内容だが、あえてしてしまおう。前提は「PならばQである」という条件文である。このとき

 Pである。したがってQである。

は論理的に妥当な推論のしかたであって、肯定式と呼ばれる。

 Qでない。したがってPでない。

も論理的に妥当な推論のしかたで、否定式という。一方、

 Pでない。したがってQでない。

という推論は論理的に正しくない推論で、前件否定の錯誤と呼ばれる。

 Qである。したがってPである。

というのも論理的には誤りで、後件肯定の錯誤という。

 例1の推論は、「彼と結婚する」という前件Pを否定して「幸せになる」という後件Qを否定している。まさに前件否定の錯誤になっていて、論理的に考える限り妥当とはいえない。ある女性にこの問題を出したところ、即座に「こんなの、おかしいわよ。他にも幸せにしてくれる男性がいくらでもいりかもしれないじゃないの」と答えた。まさに、その通りである。

 例2

 亭主は酒を飲むと必ず十二時すぎに帰ってくる。

 十二時過ぎに帰ってきた。

 ∴また、酒を飲んできたにちがいない。

これは後件肯定の錯誤である。たまにとはいえ、残業で十二時すぎになることだってあるのだ。遅くなった日はすべて酒を飲んでいると思われては、亭主も気の毒というものである。

 以上のような例は、推論にどこか「見落とし」があって、やはり「錯誤」と言われてもしかたがないようなところがある。

 

「考えることの科学」(市川伸一)P10〜P12より引用

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