日本人の論じ方の欠陥

 主張と根拠のつながりがはっきりしていない

 典型的な論じ方において、日本人は、「ようするに何を述べたいのか」を明言しません。主張を持たない場合もあります。主張があっても、それを支える根拠を述べません。根拠を述べている場合でも、主張と根拠がはっきりつながっていません。あるいは、そのつながりが混乱しています。

 混乱の原因は、述べ方が「羅列調」(「Aである。Bである。Cである」の書き方)である点にあります。基本的に、その思考は秩序立ったそれではなく、思いつきの集まりです。その思いつきを連想の流れで羅列するだけで、論理的に説明しようという姿勢を持っていません。「論理的に説明しよう」という意思のみならず、その前のレベル「説明しよう」という意思にも欠けています。

 短絡的な思考

 思考は思いつきであるだけで、短絡的です(「**すべきだ」と思うから「**すべきだ」と書くだけの形)。これは「説明しよう」という意思の欠如からきています(また、思考をしっかり支えるものがないことからもきています)。

 あいまいな表現

 そして、説明抜きとするため、自分自身の表現力に頼ろうとする面がなく、読み手の「察する力」に頼ります。説明を重視しないために、表現があいまいです(ここで言う「あいまい」とは、読み手に判断を任せる姿勢からくるあいまいさです。たとえば、ポストに2つの差し出し口があったとそて、上に「大きな郵便物は右の差し出し口へ」と書くようなこよを指します。何をもって「大きい」とするかは、差出人(読み手)の判断に任せているのです)。

 この姿勢の背後には、くわしく書かなくても、あいまいに書いても、特定できないように書いても、雰囲気だけの書き方をしても(日本人は雰囲気だけの書き方がとても好きです。これは広告の作り方によく現れています)、いずれにしても、読み手には「意」は伝わると思っていますし、また、伝わらないのなら読み手に読解力がない、読み手が悪い、という「自明意識」があるのです。

 「日本人は考えることが同じ」という思想の存在

 そして、この背後には、何をもって正しいとするか、適切と判断するかなどについて、「日本人は考えることが同じ」という思想があります。

 また、日本人は感情操作が好きで、論理的な説明の代わりに相手の感情に働きかける語の使用を好みます(たとえば、「日本人は考えることが同じ、という『恐ろしい』思想があります」。「『こんなことでは』プロとは言えない」。「『口でいうほど簡単なことではない」・・・などのように)。感情操作が好きなので、人に何かを頼むときには理由を述べることよりも、懇願によって相手の感情に強く働きかけようとします。また「説得力」とは、感情操作の能力とも考えています。

 具体的な解決策を示さない

 思考が短絡的で、表現はあいまいなので、問題点に対して具体的な解決策を示せません。示す能力がないのみならず、具体的な解決策を示そうという意思もありません。そこで話は抽象的なレベルでとどまり、格好よさそうな雰囲気の表現(たとえば、「〜については、早急な解決が望まれる」)を述べて、それで終わりとします。深く細かく考えていないのに、あたかも深く考えているような雰囲気に浸って、それで自己満足しているのです。

 

「論理的に考える方法」(小野田博一)P139〜P141より引用

ポトス ホームへ