論理とは

 まず、「論理」というものを定義することから始めよう。

 ある「根拠に基づいて何らかの主張(結論)が成立していること」、言い換えるならば、「ある主張(結論)が何らかの根拠に基づいて成立していること」を「論理構造」という。そして論旨構造において「根拠から主張(結論)を導く思考のプロセス、思考の道筋」が「論理」である。

 つまり「根拠」と「主張」によって「論理構造」が成立し、「論理構造」の中で「根拠」と「主張」をつないでいるのが「論理」である。

 例で説明しよう。「ナマコは軟体動物である。したがって、ナマコは植物ではない。」この二つの文から成る文章は論理構造を成している。この場合「ナマコは軟体動物である。」というのが根拠で、「ナマコは植物ではない。」というのが主張(結論)である。そして「ナマコは軟体動物」だから、したがって「ナマコは植物ではない。」と結論付けた思考プロセスが論理なのである。

 もう一つ例を示そう。「私が今までに会ったことのあるアメリカ人は皆金髪であった。だからアメリカ人は全員金髪であろう。」こちらも論理構造を成している。「私が今まで会ったことのあるアメリカ人は皆金髪であった。」ことを根拠として「アメリカ人は全員金髪であろう。」ということを結論としており、根拠と主張(結論)が揃っているからである。そしてこちらの例でもまた、「私が会ったことのあるアメリカ人が皆金髪であった。」から、したがって「アメリカ人は全員金髪であろう。」と考えたその思考の部分が論理なのである。

 「結論の客観的正しさを担保してくれる思考の方法論が論理である。」が、ここで挙げた二番目の例の結論である「アメリカ人は全員金髪であろう。」は明らかに客観的正しさに欠けるものである。にもかかわらずこの例は「論理構造」を成しており、しかも「論理」の存在によって「根拠」から「結論」が導出されていると見なすことができる。

 この一見矛盾に見える食い違いについて解説しておこう。なぜ、客観的正しさを担保してくれるはずの論理によって導かれた結論が明らかに誤っているという事態が起きるのかというと、論理は客観的正しさを担保するための一つの必要条件であって、十分条件ではないからである。しかしながら、論理だけでは結論の客観的正しさを担保するためには十分ではないものの、客観的正しさを担保するためには論理は必ず必要であるという点は忘れないでいただきたい。

 

「思考・論理・分析」(波頭亮)P86〜P88より引用

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