根拠を示す

 論理的な文章を書くためには、根拠は欠かせません(絶対に必要な構成要素だからです)。

 論理的か否かという観点から、仮に離れたとしても、根拠はいろいろな意味で文章に必要です。根拠なしの断定は独断的な文章になります。

【根拠は論に説得力を与える】

 根拠の一番大きな力は、主張に説得力を与える点です。ですから、仮にあなたに論理的に書く意思がなかったとしても―そんなことはないでしょうが―主張に説得力を加えたいのなら、絶対に根拠を書くべきです。

 「真実を述べればそれで十分であり、かつ、人はそれだけの正しさを理解するべきで、理解できないのならその人がまちがっている」と考えている人がよくいて、議論の仕方の本を書いている人の中にもこのタイプの人がいます。

 が、この考え方は論理的な文章を書く上で大きな障害になります。というのは、「正しいこと」は、それがなぜ正しいかを示さないのなら、その正しさは他の人には伝えられないからです。正しいことが自分には自明であっても、「自明」と述べただけでは証明にはなりません。

 話を「真実」に戻しますと、私たちは真実(私たちにとっての真実)を述べるだけではなく、それがなぜ真実かを示さなければならないのです。

 「論」に説得力を与えるのは主張ではなく根拠です。たとえば、制服着用の是非を論ずる際には、「制服着用を義務づけることは正しい(あるいは、間違っている)」と述べたところで、それだけではその「論」は説得力を持ちません。

 大切なのは、賛成の側からは、たとえば「制服着用のメリットを人にアピールすること」であり、反対の側からは、たとえば「制服着用の弊害を人にアピールすること」なのです。

【根拠を形式の上からはっきり示す】

 根拠を述べる上でもっとも大切なことは、どれが根拠かをはっきり示すことです。長い文章なら、根拠を述べている際に、「いま根拠を述べている」ということがはっきり読み手にわかるように書くことです。文脈の上から根拠がわかるのではなく、接続詞などを使って、形式の上から根拠がわかるように書かなければなりません。

 この主な理由は、

 ・文章の論理色を強めるためであり、

 ・読み手の負担をより軽くするためです。

 「形式の上から根拠であることを示す」とは、「〜だから」とか、「なぜなら」などを使うことを意味します。

 「Aである。Bである」―これが日本語のごく一般的な書き方ですが、そう書くのではなく、「Aである。なぜならBであるから」などのように書くのです。こう書いてあれば、読み手は、AとBの意味の関連を考えなくても、どちらが根拠なのかがわかります。

 一方、前者「Aである。Bである」では、読み手はAとBの意味をじっくり考えなければどちらが根拠かわかりません。前者は読み手に余分な負担を与える文章なのです。この書き方では、書き手が論理的な人であっても、その人が書いた文章は、論理的には見えなくなってしまいます。

【主張を十分支える根拠を書く】

 根拠を書く上で、その内容の面からもっとも大切なことは、「根拠が主張を十分支えていること」です。当たり前のことですが、根拠は主張を十分支えていなければなりません。根拠は主張を支えるためのものですから、根拠のつもりのものが主張を支えていないのであれば、根拠はその役目を果たしていないことになります。

 根拠は「論」を文字どおり支える根幹の部分です。根拠が貧弱では、主張の正しさは他人には伝わりません(もちろん、同じ主張をはじめから持っている人には伝わりますが)。したがって、「主張を十分支える根拠を書く」ということを、あなたはつねに強く意識していなければなりません。

【主張を直接支える根拠を書く】

 主張を十分支える根拠を書くためにもっとも大切なことは、「主張を直接支える根拠を書く」ということです。

 多くの場合、「AゆえにB」と述べる人にとって「AゆえにB」は当然であって、その人にとってAはBと強く『つながって』います。それで「なぜ『ゆえに』なのか」などとはまず考えません。その人の頭の中では、AはBを直接支えているのです。

 ところが『つながって』いない人は、「なぜ『ゆえに』なのか」と考えることになります。つまり、この人にとってのAは、Bを直接支えていないのです。

 たとえば、「暴力描写をともなうポルノは有害である。ゆえに暴力描写をともなうポルノには規制が必要である」と思っている人にとって、「暴力描写をともなうポルノは有害である。『ゆえに』暴力描写をともなうポルノには規制が必要である」と『ゆえに』でつながるのは当然なのです。

 そのため、なぜ『ゆえに』なのかを述べる必要は感じませんし、さらに、なぜ『ゆえに』なのかと考えすらしない場合も往々にして出てきます(「有害なものは排斥されなければならない」という大きな前提を、当然のこととして自分が認めていることを、つい見逃すのです)。ところが、この例の場合もそれ以外の場合も、万人にとって『ゆえに』ではありません。

 「論」を書くためには、この「万人にとって『ゆえに』と言えるものはない」点をしっかり理解していなければなりません。そして『ほぼ』万人にとって『ゆえに』と言える点まで詳しく述べる努力をしなければなりません。この努力が多いほど、文章はより論理的な色彩を持ってゆきます。

 そのためには、あなたは「人の考え方はそれぞれ異なるものだ」という意識―知識ではなく、意識―を強く持ち、自分が当然と思うことすら詳しく述べる必要があります。

 日本人には「考え方は人それぞれ」の『意識』がかなり弱いので、このことには十分注意が必要です。

 

「論理的に書く方法」(小野田博一)P66〜P80より引用

ポトス ホームへ